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正しい日本語ってあるじゃん?

あれって肯定派も否定派の意見もわかる。

「汚名挽回」とか言ってたら意味ちげーって思うし、何年か前に「ガン見」って言葉聞いた時には意味がわからくてなんだよその言葉って思った。

でもでも「雰囲気」は「ふんいき」より「ふいんき」のが言い易いし、「全然大丈夫」とか普通に使ってる。最近は辞書にも全然→肯定はのるようになったとか。まぁ言葉は変化するもんだ。

別に間違った日本語使おうが新しい若者言葉使おうがいいとは思うけど、不快に思う人がいるとあれだからできれば正しい意味とか使い方は知っておこうとは思うんだ。

けどここで困ることがあるんだが・・・

昔バイトで社員から「20個弱○○買ってきて」と言われ、はてどうしたものかと思った。具体的な数聞こうと思ったら「20個弱言うたら20個弱やろアホか!」と怒られた記憶がある。俺が何を迷ったのかというと、「20個弱」は一般的には「22、3個」なのだろうが正しい意味では「17、8個」だということ。

本来○○弱は○○+ちょっとではなく○○より弱くという意味らしく対象より少なくなるらしい。対して○○強は○○+大目ではなく、○○より強くで「20個強」なら「22、3個」ぐらいが妥当なんだと。

たまたま上でいった社員の頼まれごとの前日くらいにテレビでこの情報を仕入れたもんだから当時の俺は混乱した。結局一般的には22、23個じゃね?と考えてそれで正解だったんだが。

他にも「役不足」ってのは「人間」が「役」にたいして劣っているわけじゃなくて「役」が人間に見合わないって意味らしい。でもこれもさあ高倉健とかに対して

「いやぁこの役を高倉健さんにやってもらうのは役不足では?」

とか言ったら
高倉健はキレるかもしれん

だから半分くらいの人が誤解してる日本語はもう広辞苑とかにのしちゃって正しい日本語にしたらいいとは思う。

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最近オネエキャラと呼ばれる、男性が好きな女性っぽい男性芸能人を何人もテレビで見かける。オネエキャラばかりを揃えたオネエMANSなんて番組も始まったぐらいだ。一昔前ではこういったセクシャルマイノリティの方達は随分差別されたようだが、今や法的にも性別を換えられたり偏見もなくなったとはいわないが少なくなってきているようだ。

セクシャルマイノリティっていうのは狭い意味では性別に関する少数者、即ち同性愛者を挿すのだが、広い意味では性的嗜好の少数者を指すらしい。

今プレイしている推理系ゲームに近親相姦の話がでてくるのだが、よくあるパターンが

「実は私達、兄妹なのよ!!」
→「なんだってー!?」
→「結ばれることがないならいっそ死のう」

で、このゲームもまさに王道のそれだった。

確かに倫理的に近親相姦は問題あるのだろうが、どうしても好きなら一緒になれよと思う。兄妹なら法律的に結婚できないだけでセックスしようが子供産もうが別に罰せられるわけではないのだから、自分たちのことを誰も知らない土地に二人で幸せに暮らせばいい。まあ親とは絶縁かもしれないし、子供を作るなら遺伝の問題も含めそこは色々考えてもらって。

と、近親相姦には筆者は寛大である。むしろ近親相姦ネタが好きだったりする。自分の母や姉には全く欲情しないが禁断の愛的なものに興奮するのかもしれない。

ただ世間ではどうだろう。例えば芸能人が同性愛者と告白しても芸能活動を続けられる場合が多いだろうけど、(アイドルは除く)近親相姦しているといったら芸能界から確実に消えるだろう。二人の同意で誰にも迷惑をかけてなくても冷たい目で見られることだろう。

同性愛をセクシャルマイノリティと言うが、同性愛者は人口の1.5%、多性愛者(所謂バイ)は6%もいるらしい。そう、マイノリティのわりに結構いるのだ。しかし近親相姦体験者はなかなか見かけない。はたから見てわからないというもあるが。

あまり見かけないから気持ち悪い。人間は自分では理解できないものや経験のないものを本能的に拒むのは仕様がないことかもしれない。同性愛が許されて、他のものが許されないならやっぱりマイノリティはマイノリティなんだなと思う

幼女趣味のペドフィリア、死体愛好家のネクロフィリア。対象のことを考えると迫害されて当たり前と言えば当たり前なのだが、同性愛と同じでどうしようもない脳や心の病気なのだ。同性愛を病気と言うのが不適切なら、ペドフィリアやネクロフィリアも病気じゃなく生まれ持ったもので、可愛そうといえば可愛そうな人達なのだろう。

:あとがき
全く関係ないが中1の時、人生で唯一母親に見つかったエロ本が「姉」というタイトルのマンガだ。しかも引越たてで幼馴染の親が部屋を見たいといって二人で入って来た時にみつかった。言い訳したが、姉のいる私のことをたぶん軽蔑の眼差しで見ていたに違いない。

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テレビでは放送禁止用語というものがある。明らかにテレビではまずいなと思われるものからなんでこれが放送禁止用語なの?と思わせるものまで様々。

例えば「めくら」これは目が不自由な方に対する差別用語なのだが、語源を考えると「目が見えない」=「目が暗い」=「めくら」に単純になったのだろうから言葉が生まれた当初に差別的な意味合いは含まれていなかっただろう。

ただ、言う側に悪意があって「めくら」といえば差別用語になる。不快に感じる人がいればそれは差別用語なのだ。

言葉自体に差別的意味はないのに言ってはいけない言葉がある中で、言葉自体差別的意味があるのに日常的に使われている言葉があることに最近気付いた。

それは「チキン南蛮」である。

チキン南蛮や鴨南蛮の「南蛮」はネギで南蛮漬けの場合の「南蛮」は唐辛子のことをさしているが、この「南蛮」本来の意味は中国から見た東南アジア地域を蔑んだ言葉である。

これはテレビなんかで使うには大問題だ。ましてや商品名にして大々的に売り出しているほっかほっか亭なんかは人権団体から凄いクレームがくるかもしれない。勿論冗談だけど、何故「南蛮」が言葉狩りとも言われる色々うるさい世の中で許されているのだろうか。

日本にとっての南蛮とは東南アジアや琉球、九州の一部の蔑称として使われていたが、その後江戸時代頃から東南アジアを植民地にしていたポルトガルやスペインのことを南蛮と呼ぶようにる。舶来品のことを「南蛮渡来」というあれである。

現在では西洋諸国に対し憧れこそあれ悪いイメージはあまりないだろう。当然ネギや唐辛子に対しても差別する人は少ない。問題は言葉ではなくその対象なのだ。

「知的障害者」という言葉を作っても「ちしょう」などと縮めて蔑む輩がたくさんいる。言葉だけでなくその差別用語の対象になっている方や物を理解し差別をなくすことが重要なのである。

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どんな綺麗ごとを言おうとも人間、損得勘定で生きている。

こういう事を言う人がいるけどあながち間違ってはいないと思う。

○友達の頼みごとを聞いてやる→借りを作って自分もいつか頼みごとを聞いてもらう
○気になるあの娘にプレゼント→いつか自分の女に
○寄付をする→いい人と思われる

こう書くとなんか嫌な人間に見えてしまうが、僕が思うのは一次的な見返りを期待する上記のような損得勘定だけではない。

例えば人知れず寄付をする人もたくさんいるし、他人の為に命を投げ出す人もいる。でもそんな事も含めて最終的には自分に得があると天秤にかけて行っているのであろう。

○友達の頼みごとを聞いてやる→いつも世話になってるし、友達が喜んでくれると嬉しい→嬉しい時点で得
友達関係がその後も円満に行く→得

○森林保護団体寄付→いいことしたな→得
木が増え地球に優しい→自分の子孫も安心→得

○ここは任せろお前達は先に行け!といって死ぬ→命よりも大事な者を守れる→得
てかオレってかっこいいぜ→得

友達の頼みごとが100万欲しいだったとする、僕は正直そんなお金がない。理由がギャンブルに使い込んで借金取りに負われてるとかならアホかと一蹴するだろう。そんな奴に100万くれてやるのは損だ。

しかし理由が病気で100万ないとそいつが死ぬとかで、他にあてはなく大事な親友ならば100万借金してでも見繕うだろう。大事な親友の命の為なら100万くらいなんとかなる。

でも僕だけで1億なんとかしないといけないなら無理だ。親友には悪いが死んでもらうしかない。
でも自分の命や他人の命よりも、他人に迷惑をかけてでも親友の命が大事というなら銀行強盗してでもなんとかする人もいるかもしれない。その人にとっては

自分が犯罪者になるリスク、自分の命、人を傷つけてでもお金を奪うこと<親友の命

になるわけだから、それで親友の命が助かるならその人は得したことになるだろう。

とにかく何が言いたいかと言うと単純な損得勘定だけで生きるなってこと。巡り巡って自分に返ってくるのだから。

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