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どんな綺麗ごとを言おうとも人間、損得勘定で生きている。

こういう事を言う人がいるけどあながち間違ってはいないと思う。

○友達の頼みごとを聞いてやる→借りを作って自分もいつか頼みごとを聞いてもらう
○気になるあの娘にプレゼント→いつか自分の女に
○寄付をする→いい人と思われる

こう書くとなんか嫌な人間に見えてしまうが、僕が思うのは一次的な見返りを期待する上記のような損得勘定だけではない。

例えば人知れず寄付をする人もたくさんいるし、他人の為に命を投げ出す人もいる。でもそんな事も含めて最終的には自分に得があると天秤にかけて行っているのであろう。

○友達の頼みごとを聞いてやる→いつも世話になってるし、友達が喜んでくれると嬉しい→嬉しい時点で得
友達関係がその後も円満に行く→得

○森林保護団体寄付→いいことしたな→得
木が増え地球に優しい→自分の子孫も安心→得

○ここは任せろお前達は先に行け!といって死ぬ→命よりも大事な者を守れる→得
てかオレってかっこいいぜ→得

友達の頼みごとが100万欲しいだったとする、僕は正直そんなお金がない。理由がギャンブルに使い込んで借金取りに負われてるとかならアホかと一蹴するだろう。そんな奴に100万くれてやるのは損だ。

しかし理由が病気で100万ないとそいつが死ぬとかで、他にあてはなく大事な親友ならば100万借金してでも見繕うだろう。大事な親友の命の為なら100万くらいなんとかなる。

でも僕だけで1億なんとかしないといけないなら無理だ。親友には悪いが死んでもらうしかない。
でも自分の命や他人の命よりも、他人に迷惑をかけてでも親友の命が大事というなら銀行強盗してでもなんとかする人もいるかもしれない。その人にとっては

自分が犯罪者になるリスク、自分の命、人を傷つけてでもお金を奪うこと<親友の命

になるわけだから、それで親友の命が助かるならその人は得したことになるだろう。

とにかく何が言いたいかと言うと単純な損得勘定だけで生きるなってこと。巡り巡って自分に返ってくるのだから。

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